忍者ブログ

AL逆行itsbetween1and0/42



アシュルク逆行長編“it's between 1 and 0”


第42話・アッシュ編08「痩せて尖った母上の手は、」です。





it's between 1 and 0 第42話


※※※


あの『ジュース』に気付いたのは、
ナタリアのケーキのせいで課されていた食事制限が解除された翌日、レムの日だった。

俺は、お茶の時間だと呼ばれ、部屋の前にあるポーチに用意された席につき、
テーブルの上にあった、赤い『ジュース』に口を近付けた。

「…なんだ、これは…?」

俺はグラスをテーブルに戻しながら、顔を顰める。

その場にいたのはガイだけだったから良かったものの、メイドが一人でもいれば、厄介な事になったかもしれない。

「どうした、アッシュ?」

2人でいる時は、ガイは俺の事をアッシュと呼ぶ。
いや、以前、アッシュと呼ぶように俺は命令していた。

「これは何だ?薬品の臭いがする」

「薬品?」

変だな、と言いながらガイはグラスを持ち上げると、飲み口に鼻を近付けて、臭いを確認する。

「いつもと同じだぞ?ハーブの匂いじゃないのか?ルークの好きなジュースだから、文句言わず飲めよ」

俺は片方の眉を上げ、ガイを睨んだ。

「何のジュースだ?」

「いや、俺もよく知らないからな…」

「…ったく。俺のレプリカに、こんな得体の知れねぇ物、飲ませてんじゃねぇよ。誰が作っている?」

「外から仕入れているみたいだぞ。いつも届くから」

「じゃあ、瓶を持って来い。ラベルを見せろ」

「いや、瓶にラベルは貼られてないが…」

「何だと?」

「心配しなくても、公爵家の台所に変な物は入らないさ」

ガイはそう言って笑った。

ラベルのない瓶を仕入れるなんざ、異常極まりないが、ここでは、その異常な事が当たり前だったようだ。

「他に誰がこれを飲んでいる?」

「これはルーク専用のジュースだ。他は飲まないな」

……おい。ますます怪しいじゃねぇか…。

「あいつは、よく飲むのか?」

「あぁ、ケーキの日は、これと決められているんだ」

「ケーキの日?」

確かに、テーブルの上には、甘ったるそうなケーキがある。

「ケーキは、レム、イフリート、シルフ、ノームの日だな」

おいおい。何だ、その決まりは。それじゃあまるで…。

「週に4回も『摂取』していたというのか?」

俺の『摂取』という言葉に、ガイは驚きを顕にした。
苛立ちを抑えながら、俺はテーブルに置いた手を握り締める。

「いつからだ?いつから、この決まりは存在する?」

「…すまん、正確には分からない…。昔から、としか…」

狼狽え始めたガイを他所に、俺は思考を巡らせた。


ガイは『決められている』と言った。ならば、誰かの命令に違いない。
命令となれば、あの2人のどちらかしか考えられない。

父上か。母上か。


俺はグラスに入った、血のように赤い液体を睨む。

「……『毒』…あるいは『薬』か……」

ガイが息を飲む。

「コイツの出所を調べろ。コイツの正体によっては、」


バチカルも安全な場所とは言えねぇ。


俺はその言葉を飲み込むと、グラスを掴み、赤い液体を、中庭の水路に溢した。
清らかな水流に、血のような赤が混じり、溶けて消える。



すぐにルークを連れ戻そうと考えていたが、この『ジュース』の正体が明らかになるまで、ルークを安易に連れ戻すのは危険だと感じた。

出所はすぐに分かった。俺がかつて出入りさせられていたバチカルの研究所だ。

だが『ジュース』の正体は、分からなかった。


成分を調べさせても、珍しいハーブを煎じたものに栄養分が入っただけの物だった。


俺の考えすぎだったと決着をつけようとした。
そんな時だった。
研究所に忍び込ませたガイが、あるデータを持ち帰ったのは。


あるハーブが、レプリカを構成する第七音素と相性が良く、レプリカの身体の免疫能力を向上させるというデータだ。

あの『ジュース』に使われていたハーブだった。


俺は図書室にあった本の内容を思い出した。
初期生体レプリカの数体に、免疫能力の異常が認められた…というような内容だ。


初めは、信じられなかった。

『前』の時のルークは、超振動の能力劣化や、チャネリング時の身体の負担、色素の濃淡くらいで、特に劣化らしいものは、他になかったからだ。


ローレライの干渉によって出来た歪みが、ルークに現れたのだと悟った時、


俺はガキみてぇに、ローレライを呪う言葉を吐き散らした。


確かに、取引をした時、ローレライは言っていた。『それは、至難のものとなるだろう』と。
それでも良いと俺は答えた。俺は『望み』を叶える為、どんなリスクでも負う覚悟だった。


だが、本当にリスクを負ったのは、ルークの方だったんだ。


意味はないと知りながら、散々ローレライに喚き散らした後、俺は冷静にならなければいけないと、己を律する事に努めた。

まずは『前』とは違う『今』の現状把握が必要だった。

何故かファブレ家の屋敷の図書室には、生体フォミクリーに関する蔵書が豊富にあった。
そもそも、それ自体が異常だという事に、もっと早く気付くべきだった。

屋敷の誰か…いや、父上は、知っているんだ。ルークがレプリカであるという事を。
知っていながら、息子として、屋敷に置いている。虚弱な身体に薬を与え続け、生かしている。


……ND2018に『ルーク』という生け贄にする為に…!



何度もルークとチャネリングする機会はあったが、俺は、どうしても、その事だけは伝えられなかった。いつかは知らなくてはならない。だが、ルークが知れば、ショックを受けるのは間違いない。
バチカルに帰りたくないと言い出すかもしれない。
だが、それだけは、絶対に避けなければいけない。

ルークにとって、外の世界は危険でしかない。些細な病や怪我で、命を落としかねないんだ。


あいつを、こんな醜い思惑で閉ざされた場所から連れ出し、誰も知らない安全な場所に閉じ込める事が出来るならば、どんなに良いだろう。……そんな昏い考えが、時折、脳裏を過った。脳裏を過る度に、何度も打ち消し、自嘲するしかなかった。

ルークを利用できなければ、俺は、ローレライを解放する事なんざ出来やしねぇ。


ルークの利用価値は、
アクゼリュスで使い捨てようとしているヴァンよりも、俺の方がよく分かっているんだ。


…あぁ、なんて皮肉な話だ。



そんな事を考えていた頃、

ルークからチャネリングで、シルバーナ大陸での魔物討伐任務の話を聞き、『前』との違いに俺は驚きつつも、ルークと入れ代わる絶好の機会だと考えた。ガイもようやくルークを迎えに行けると喜び、母上の快気祈願の名目で、ダアトに送り出した。


今頃、ガイはシンクに接触を計っているのだろうかと、俺はぼんやり考える。


「……ルーク、」

その名を呼ばれて、俺ははっとして顔を上げた。

テーブルの向こうには、儚げな笑みを浮かべた母上がいる。

「どうしたのです、ルーク。何か心配事でも?」

俺は誤魔化すように紅茶のカップを手にして、

「今頃ガイはダアトでどうしているのかと考えていました」

それだけ言うと、紅茶を喉に流し込んだ。

「ふふふ、お前は本当にガイを気に入っているのですね」

母上はそう応えると、痩せて尖って見える指で、カップの取手を摘まむ。

「この前、ガイがベルケンドに行った時は、あれほど寂しがっていたというのに、今回は、そのような素振りを見せないので、喧嘩でもしたのではないかと心配していたのですよ」

「…まさか、喧嘩など」

使用人と対等に喧嘩など…ルークならするかもしれないが、結局は分を弁えているガイに限って、有り得ないだろう。

「今回は俺が望んだ事ですから、寂しくはありません。ガイの土産話を楽しみにしているくらいです」

「なんだか、普段のルークではないみたいですわね」

母上は冗談っぽく言って笑ったが、俺は気が気ではなく、引きつった笑みを返してしまう。
早々に切り上げなければ、やはりボロを出しそうだ。

運良く柱時計の鐘が鳴り始め、俺は安心する。

「母上、そろそろ家庭教師が来る時間ですので、失礼させて頂きます」

俺は立ち上がって一礼し、再び顔を上げると、
母上の真っ直ぐな視線とぶつかって、ぎくりとする。

しかし、すぐに母上は柔らかな微笑みを顔に満たした。

「こちらにいらっしゃい、ルーク」

「はい」

……一体何だ…?

俺は訳が分からないまま、母上のすぐ傍まで行く。

母上は手を延ばすと、俺の手を取って、また微笑んだ。

「ねぇ、ルーク、私は今更ながら後悔しているのです。お前が誘拐される前に、もっと母らしく、こうしてお前にちゃんと触れていれば、と……」

母上が突然何を言い出したのか、俺には分からなかった。
だが、母上の言う通り、10才以前の俺が病弱な母に触れた記憶など、殆どない。

「誘拐前の事は分かりませんが、俺の知ってる母上は、俺に優しくして下さいます。とても感謝しています」

ルークなら、こう言うだろうか。そんな風に考えながら、俺は言葉を選んで答える。

「剣を持つ手が、こんなに立派になっていたなんて、あの頃からは、なんだか想像できなかったのですが…」

痩せて尖った母上の手は、ひやりと冷たかったが、触れる指先から優しさが伝わってくるようで、くすぐったい。

「病弱な私は、頼りなく見えるでしょうけれど、いつもお前達の力になってやりたいと思っているのです。何かあれば、相談くらいは母にもして下さいね」

にこりと微笑むと、そっと母上は俺の手を放した。

「母上にそう言って頂けると、嬉しいです」

それは、俺の本心からの言葉だった。

「…さぁ、行きなさい。また母とお茶をして下さいね」

「はい、いつでも喜んで」


俺は一礼して母上に背を向けると、サンルームから出た。


扉を閉め、母上が触れていた手を見る。

神託の盾騎士団で必死に鍛えた手は、
小さな傷跡や剣ダコが目立ち、立派と言うには汚い手だった。

「…立派、か……」

俺は苦笑しながら呟いたが、次の瞬間、血の気が引く。


母上が触れていた手は、右手だった。


その事に気付いた後には、母上が『お前達』と言っていた事を思い出す。

ルークとガイの事だと思っていたが、

……まさか…?

一度閉ざした扉の方へ振り返り、真意を問い質したい衝動に駆られたが、思い止まる。

母上は、俺とルークの違いを分かっている。……きっと、ずっと、昔から…。


俺はそう確信し、扉に向かって深く礼をすると、歩き出した。






※※※続きます※※※



PR