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AL/凱歌04


『英雄は凱歌に酔う』


 第04(最終)話






※※※


アッシュにも、ルークが具体的にどうやったのかは分からなかった。


ただ、

第七音素の意識集合体であるローレライの力を借りて、
ルークが第二超振動を使い、
全人類の脳に干渉して一部の細胞に結合する音素を無効化させ、
ルークに関わる記憶だけを消してしまった。

……それだけは、確かだった。

しかし、ルークがした事はあくまで記憶の削除であって、書き換えではなかった。

その証拠に、消去され繋がらなくなった記憶の欠落部分は、
それぞれが自分の苦痛を生み出さない形に変えて補い、穴埋めしたらしい。


その為、ルークに深く関わっていた者達ほど、
それぞれの記憶の食い違いに混乱していたようだった。

あの旅で、最も長くルークと行動を共にしていたティアは、
『ルークのレプリカの面倒を見ていた』という風に記憶を変えており、
ナタリアやジェイド、アニスに関しては、
『戦力の一つとして、ルークのレプリカを同行させていた』と認識しているらしい。


しかし、ガイだけは他の者とは違い、
幾つか残ったルークとの思い出を、アッシュとの思い出として認識しているらしかった。

親身になってルークの世話を焼いていた事実は記憶に残っているらしいが、
賭けをした相手はルークではなく、アッシュという事になっており、

『ルークだと思い込んでいたから、あんな風に世話を焼けたんだ。
レプリカだと知っていれば、違っていたかもしれないさ』

と言い切ってしまう程、ルークに対する思いは消えていた。

それでも、ガイはルークの唯一無二の親友だったのだと、彼は感じた。

思い出の中のルークをアッシュとして認識する事で、
ルークと過ごした日々の事を、ガイは残そうとしてくれたのではないか…と、
そんな風に考えたのだ。


そうして彼が知り得た限り、仲間以外の者に関しては、
ルークについて公的な記録に記された、
『誘拐後に被験者と入れ替えられたレプリカ』
『アクゼリュス崩落の実行犯』
『外殻大地降下作業の協力者』
『レプリカを消費しての障気中和の功労者』
『功績により子爵の称号を与えられたレプリカ』
『エルドラント戦で戦死した者の一人』
という事実だけが、それぞれの記憶に残ったようだった。


結局、ルークが一人の人間として確かに存在した記憶は、
生還した被験者ルーク・フォン・ファブレの中にしか残っていなかったのだ。



それから、3年の月日が経った。



一時、大爆発の後遺症で錯乱し廃人になったと噂されていた英雄は、
ほんの1か月ほどで表舞台に戻ってくると、
突如として、父ファブレ公爵のもとで、政治手腕を発揮していった。

国と結婚すると宣言して女王に即位したナタリアの補佐、
レプリカならびにフォミクリー被害者の保護活動、
バチカル廃工場跡地の再開発、
イニスタ湿原の農地開発、
キュビ半島での鉱山資源の開発、
ベルケンドの第一音機関研究所での研究協力、
シェリダンでの新たな譜業研究所の創設と援助、
親マルクト派と揶揄される程の友好的外交政策の支持、
貿易路の安全確保の為の白光騎士団派遣、

それらの功労を称えられたルーク・フォン・ファブレは、
子爵位を授かり、『ファブレ子爵』と呼ばれるようになっていた。



その日、

ガイ・セシルは、3年ぶりにバチカルを訪れる。


その理由は、3週間ほど前にグランコクマまでガイを訪ねてきたティアの言葉だ。



『ガイ、他の者には…いいえ、あなたにしか頼めないの。
ルークの事、調べてくれないかしら?』

訳を尋ねると、ティアは淡々と話してくれた。

2年ほど前、ベルケンドの第一音機関研究所の要請を受けて、
ユリアシティで保管されていた大量の書物を貸し出したらしい。
研究所の目的は、情報の保存と研究、
もともと経年劣化の激しかった書物自体の修復だった。

1年ほど経ってから、全ての書物が返却されたのだが、
つい1ヶ月ほど前、ティアはある報告を受けた。

厳重に保管されていた筈の書物が、消えてなくなっている、と。

最初は何かの手違いかと思われていたのだが、ティアはふと思う所があって、
秘密裏に、研究所に貸し出した数冊の書物の構成音素を調べさせた。
そして、ティアの予想は的中。
研究所から返却された書物の幾つかは、レプリカだったのだ。
消えてなくなったという書物は、音素乖離を起こしたのだろうと考えられた。

ティアは、市長である祖父に、
この事を公表するのは少しだけ待ってほしいと掛け合った。

何故なら、第一音機関研究所で、この研究に巨額の出資をしていたのは、
彼のルーク・フォン・ファブレだったのだ。

『研究所を調べたら、ルークは出資をしていただけではなくて、
頻繁に研究所に出入りして、積極的に研究に関わっていたらしいの。
…私、彼が心配だわ。でも、私がバチカルへ行って確かめるのは…』

『あぁ、ちょっとマズイかもしれないな…』

その時のティアの言葉に、ガイは頷いた。

ティアはレプリカルークと最も長い時間を過ごした者とされていて、
一時期レプリカの記憶と混同していたルークに、
悪い影響を及ぼすかもしれない…と仲間は考えていたからだ。


その為、ティアの代わりに、ガイはバチカルへ行く事に決めたのだ。



バチカル港に着き、連絡船のタラップの前まで進み出た時、
肌を刺すような冷たい空気を感じて、ガイは空を見上げる。

重たそうな灰色の雲がバチカル上空を覆っていて、
これは珍しく雪になるかもしれないな…と考えた。


バチカル港で待ち合わせていた相手と合流し、
ガイはファブレ邸のある最上階へ通じる昇降機に乗る。

待ち合わせていた相手はマキという名のファブレ家のメイドで、
ガイにとっては元使用人仲間で、親しくしていた者の一人だった。
マキを遣わしてくれたシュザンヌの気遣いに感謝しつつ、
今回のバチカル訪問はプライベートだからと話し、
お互いに気安い言葉で会話を弾ませる。
しかし、話題がルークの事になると、急にマキの表情は沈んだ。

「最近、ルーク様の様子が変で、奥様は心配なさっていたの。
あなたの訪問を聞いた時、とてもお喜びになって、感謝されていたわ。
これでルーク様が少しでも元気になればと仰っていて…」


バチカル行きを決めてすぐ、ルークには知られないように、
シュザンヌ宛てに手紙を出して知らせていたのだ。

そちらを訪ねたいが、ルークを驚かせたいので、
自分が顔を出すまで秘密にしておいてほしい、と。

その返事は、
訪問の日には必ず息子を屋敷に留めておく、
バチカル港に迎えを寄越す…というものだった。


「……ルークの様子が変、か…」

ティアの言葉を思い出しながらガイは呟く。

「えぇ。しかも1週間前に、突然、公務を全てキャンセルされて…」

「え?公務を?」

「休みなく働いていらっしゃったから、最初は奥様も喜んだのだけど、
今は、中庭のお部屋に、殆ど一日中引き籠もっていらっしゃるのよ」

中庭の部屋と聞いて、
ガイは信じられないというような顔で驚いた。

「まだ、あの部屋を残していたのか?
レプリカを閉じ込めていた部屋を?
あれは、ルークに悪い影響を与えるからと…」

「書斎に使うから残してほしいというルーク様のお望みだったの」

「そんなバカな…」

思っていた以上に、良くない事が起こっているのではないか。

そんな風にガイは焦りながら、ファブレ邸へと急ぐ。



屋敷に着いてシュザンヌとクリムゾンに挨拶を済ませると、

『貴殿に頼み事などする資格はないと分かっている。
…だが、今はルークの父として、貴殿に頼みたい。
早くあの子に顔を見せてやってくれないだろうか』

と公爵からも頭を下げられた。


まずはルークと2人きりで話をさせてほしいと言って、

ガイは中庭に足を踏み出す。


その時、

「レーイ・レイ・トゥエ・クロア・ネゥ・ヴァ・レーイ…」

微かに、歌のようなものが聞こえた気がした。


しかし、目の前を掠めて落ちて行く雪に気付いて、ガイは空を見上げる。

「とうとう降り出したか…」

手を差し出せば、グローブの上に小さな雪が落ちて消え、
小さな染みを作った。

瞬間、


『がい、がい!これ、なんだ?そらから、いっぱい!』


ルークの声を思い出し、ガイは、グローブに残る染みを見つめる。




あの時、

記憶喪失以後、初めて見る雪に驚いているルークを前にして、
ガイは『雪も忘れちまったのか?』とは言えなかった。
あんなに楽しそうにしているのに、水を差すような事は出来なかった。

『ゆき?これが、ゆき?あめと、ちがう!しろい!…つめたいっ!』

はしゃいで中庭を跳ね回るルークに、『転ぶなよ』とだけ注意したのだが、

ルークは急に立ち止まって、じっと地面を見つめた後、

『…ゆき、きえた』

と泣きそうな声で呟いた。

もともと雪自体が珍しい温暖な気候なので、
バチカルに降る雪は、積もる事など殆どないのだ。
地面に落ちたと同時に、地熱で溶けてしまう。

雪が融けて水になっただけだと説明しようとしたのだが、

『ゆき、いなくなった…』

『いなくなった?』

『……ゆき、しんだ?』

辛そうな顔で聞かれて、思わずガイは言葉に詰まった。

不意に、ルークとの賭けを思い出す。
勝ち目のない賭けをしたものだとガイは自分に苦笑した。

この優しい子どもを自分が殺す未来なんて、想像できない。

『いなくなった訳でも、死んだ訳でもないさ。雪は水になったんだ。
大地に染みこんで、次の命に繋がっていったんだ』

ガイが優しく頭を撫でながら説明すると、
ルークは意味が分からないといった顔で首を捻った。

言い方が難しかっただろうかとガイが苦笑すると、

『いのち?…じゃあ、ゆき、いなくなっても、かなしくない?』

自分なりに理解したのかルークが聞き直す。

『あぁ、悲しくなんかないさ』とガイが微笑んで応えると、

『…じゃあ、いいや!』とルークは言って笑った。

ガイには何が『いい』のか分からなかったが、
ルークは笑って、またちらつく雪を追いかけて跳ね回り始めたので、

その話は、それ以来、すっかり忘れてしまっていた。



「………あれ?」

俯いていた顔から涙が零れ、グローブの上に落ちて、新たな染みを作る。

いつのまにか、どこからか聞こえていた歌は、止んでいた。

そして、ガイは拳を握り締めた。


何故あの愛しい子どもの事を、今まで忘れていたのか…と、考えて。


目の前には、他から隔離されたように建てられた小さな部屋。
我儘で横柄で人見知りで卑屈で臆病で優しいルークが、一人でいる場所。



ガイがルークの部屋に入った時、
彼は、部屋の真ん中に置かれたベッドの上に腰掛けていた。

「何が書斎に使うだよ。書斎机がないじゃないか」

ベッドの周囲には、たくさんの古そうな書物が散らかっていて、
ガイはそれを避けながら、ベッドの前へ向かう。

ベッドの上でぼんやりしていた彼は、
ガイの姿を見て、僅かに動揺していたようだった。

「なんで、ガイが、ここに……、それに、窓、から…」

彼が言うように、ガイが入ってきたのは、窓からだ。

ルークは部屋の窓の一つに鍵をかけない癖があった。
ガイがいつでも入って来られるようにと、毎日こっそり開けていたせいで。

「ルークなら、開けてくれていると、思ってた」

「お前、ルークの事を思い出して…?
……もしかして、さっきの歌、聞いたのか?」

「やっぱり、あれはルークが歌っていたのか」

「……俺は、ルークじゃない」

ガイは肩を竦めながら歩を進め、
彼の隣、ベッドの空いたスペースに腰を下ろす。

「アッシュなら、引き籠もったりしないと思うんだが?」

「引き籠もってる訳じゃねぇ…」

「じゃあ、一体どうしたって言うんだ?
この本、ユリアシティから借りていた本だろ?」

「……ティアから聞いたのか?」

「まぁな。すごく心配していたぞ」

「…そうか。返却したもののどれかが、
音素乖離でも起こして、バレてしまったのか…」

ガイは周囲に散らばる本を見回した。

「ここにあるものが本物なのか?」

「…いや、ここにあるものは、レプリカだ。
ユリアシティにはちゃんとオリジナルを返却した…が、
あの本の幾つかは、レプリカ情報を抜いた後、
形が保てず崩壊してしまったんだ。
だから、オリジナルが失われたものだけレプリカに代えて、
ユリアシティに返却した……少し浅はかだったな」

「そういう事だったのか…」

ルークと話しているのか、アッシュと話しているのか。
ガイは分からなくなりながらも、言葉を続ける。

「けど、お前に古書を収集する趣味があったなんて初耳だな。
なんで、そんな事をしたんだ?」

彼が俯けば、拗ねたような瞳が、長い前髪に隠れる。

「創世歴時代の知識を、少しでも…手に入れたかった」

「創世歴時代の?しかし、ユリアシティの本は劣化が酷くて…」

「有機物も無機物も、レプリカ情報さえ損傷を受けていなければ、
その情報をもとに作られるレプリカには、損傷が残らない」

「…それは、聞いた事がある。確か、子どもの頃にジェイドが、
妹の壊れた人形を修繕せずに、壊れる前の状態を複製したとか…」

「経年劣化を受けていた古書も同じだ。
見た目の損傷と、レプリカ情報の損傷は、実はかなり違う。
レプリカ情報の損傷が少なければ、
造られたレプリカは、オリジナルよりも損傷が少ない」

「…だから、見た目に経年劣化が酷かった本も複製すれば、
劣化の少ないレプリカを通して、読める可能性もあるって事か」

「複製時に劣化する事もあるが、生物の複製よりもリスクは低い。
以前、ジェイドは創世歴時代の技術の復活を恐れてか、
その可能性を、あえて口にはしなかったがな」

大きすぎる力は人を不幸にする。
ジェイドは、恩師のその言葉を忘れる事はなかったのだろう。

ガイは、ふぅと息を吐き出すと、

「それで?」

なるべく明るい声で、何でもない風を装って言葉を続ける。

「聞かせてくれるよな?
お前が創世歴時代の知識を手に入れたかった理由を、さ」

問われて、彼は自嘲した。

「……さっきの歌、聞いただろ?」

「ん?あぁ、メロディは違ったが、譜歌に似ているような不思議な…」

「逆譜歌だ」

「逆?」

「そこに落ちてる『ローレライ年代記』の第9巻に書かれていた。
ユリアが、譜歌のメロディを逆に歌って、多くの人々を癒した、と」

「そんな事が…」

「…見つけた時、これなら、と思った。
試してみると、逆譜歌は『再構築』と呼ぶに相応しい力を発揮した。
だから、改良を加えれば、失われた特定の音素を再構築し、
ルークに関する記憶を取り戻せると、俺は確信した」

「…失われた音素を再構築、だって…?
じゃあ、俺がルークの事を忘れていたのは、まさか…」

「お前だけじゃない。世界中の者が忘れてしまっていた。
ルークの第二超振動の力で、一部の音素を破壊されたからだ」

何故ルークはそんな事を?という疑問は、湧かなかった。
あのルークならやりかねない。ガイは、そんな風に思っただけだった。

「…あの時、確かに、ルークの記憶を取り戻せると思った…」

彼は目を閉じる。

「……でも、記憶しか取り戻せないと、分かった」

口が弧を描き、笑みを形作る。

「……それが分かってしまったら、
俺が何をしたかったのか、急に分からなくなった…」

とさっ…と、彼はそのまま後ろに倒れた。
深紅色の髪がシーツの上に散らばり、華奢な顎が天井を向かう。

「どうせ記憶しか取り戻せないのに、
今まで俺は、何を必死になってやっていたんだろう…って、さ。
…そう思ったら、もう何もかもする気力が失せちまったんだよ」

「……記憶しか取り戻せない、か…」

ガイは部屋の中を見回した。

床には古書が散らばっているだけで、他のものは殆ど何もない。

ルークがいた頃も、物の少ない部屋だとは思っていたが、今はそれ以上だ。
剣術は唯一の趣味だったのに、稽古用の剣もなく、
ヴァンの肖像画もなければ、蓄音機も、日記帳もない。

ただ、ベッド脇のワゴンの上には、
栓が開いたワインと、飲み残しの入ったグラスが置かれていた。

「ワインなんか飲んで…。お前、実はかなり酔っ払っているんだろ?」

わざと冗談を言うような明るい声で言えば、

「…そう、かもな」

彼は寝転がったままガイを見上げて笑みを溢すと、
息を深く吐き出しながら静かに目を閉じ、目元を隠すように腕で覆う。

何故か、ガイには、彼が泣いているように見えた。

「ルーク、」

「ん…?」

「お前が本当に取り戻したかったのは、
記憶じゃなくて、もう一人の自分だったんだろ?」

喉がこくりと動き、ルークが息を飲んだ事が、ガイにも分かった。
そっと肩に触れてやれば、息を殺して身体を強張らせた事も伝わってきた。

「その事に、気付いてしまったんだろ?
…ずっと、一人で寂しかったんだろ?」

彼は腕を下すと、再び開いた翡翠色の双眼でガイを凝視したまま、
ゆっくりと上体を起こす。

「…俺はさ、ルークに出会う前、
復讐する事だけを生きる目的にして、生きていた。
その目的の為に動いていなければ、心が押し潰されそうだった。
失った誰かを想い続ける事ほど、
寂しくて辛いものなんて、他にないからさ…」

「ガイは、復讐を…」

「おいおい、勘違いするなよ。もう復讐する気なんてない。
俺には、他に生きる目的も、生きる楽しみも、出来たからな。
ルークのおかげだよ」

ガイはなるべくゆっくりと言葉を紡ぐ。
幼かったルークに、世界の一つ一つを教えていた時のように。

「…けどな、ルーク。
どんな事をしたって、寂しさを紛らわす事は出来ても、
完璧に消してしまう事なんて、出来ないんだ。
生きていく限り、ずっと抱えていなくちゃいけないんだ。
……お前も、俺と同じなんだ。…そうなんだろ?」

翡翠色の光が揺れて、喉を震わせる。

「……うん、…俺、寂しかった…」

「今まで気付いてやれなくて、ごめんな」

「……何かしていなければ、辛くて仕方なかった…っ!」

ガイは、縋るように延ばされた手を取って引き寄せると、
剣術を止めてすっかり細くなってしまった彼の身体を抱き締めた。

「…ガイぃ、ぉれ…、寂しいよぉ…っ」

「…あぁ、俺も寂しいよ」

抱き締める腕に力を籠める。

「…あの時、確かに、俺達は2人だったんだっ。
でも、いつのまにか1人になってた……なっちまってた…っ。
あいつは死んだのに、俺だけ生き返っちまった…!」

「あぁ、2人で生きたかったよな。帰って来たかったよな」

「……俺、本当のルークに会いたい…っ」

「あぁ、俺も会いたいさ…!」

『本当のルーク』が誰を意味しているのか、ガイにはもう分からなかった。

ただ、腕の中に閉じ込めた小さな身体の持ち主が小さく震えていて、
ガイにとっては、それが堪らなく感じられ、
芯から押し上げられた制御不能な感情が、愛おしさを溢れさせる。

その身体を、そっとベッドに横たえると、
ガイは、真紅色の髪の隙間から覗く白い額に口付けを落とした。

ガイは、子どもをあやす…というよりは、恋人を宥めるように、
そっと頭を撫で、確かめるように頬を撫で、
無防備な唇の上に、軽く口付けを落とす。

「……嫌だと思ったら、拒否してくれ」

彼の肩口に鼻先を押し付けて問えば、

初め驚いたような顔をしていた彼は、
しかし、目を閉じると、ガイの広い背に腕を回す。

「何をしても寂しさは消せないんじゃなかったか…?」

「けれど、紛らわせなければ辛すぎる、だろ?」

「……そう、だな」

そうして、彼はガイを受け入れた。

お互いの寂しさを紛らわせる為という口実だったが、
まるで、遠い昔から決められていた事のように、
何故か2人には、当たり前の事のように感じられた。

ガイが「ルーク」と名を呼べば、彼は「ルークじゃない」と控え目に主張し、
次に「アッシュ」と呼びかければ、「ルークって呼んでくれよ」と強請られる。



その夜にちらちらと降り続けた雪も、

バチカルに積もる事はなく、
朝陽を受けて露となり、儚く消えた。



翌朝、ガイはグランコクマに帰る事になっていて、
連絡船の乗船口前まで、彼は見送りに来ていた。

「ガイ、ありがとう」

彼は僅かに掠れた声で言って、照れ臭そうに笑う。

「…俺は、ガイにたくさん助けられて、生きてきた。
最初、ガイは俺に歩き方を教えてくれた。
転んで泣いていたら、いつも駆け寄ってきてくれた」

「はははっ、あの頃は大変だったな」

「それに、進む道を教えてくれた事もあったよな。
アクゼリュスの罪をどう償っていいのか分からなくて、迷っていた時に」

その言葉を聞いて、ガイは思わず息を飲み込む。

「昨日も俺に本当の気持ちを気付かせてくれて、教えてくれた。
…俺、生まれてきて、ガイに会えて、本当に良かった」

それは別れの言葉だと、ガイは瞬時に悟った。

「……もう何かを決めちまったみたいだな」

そう言って確かめれば、

「俺、本当のルークを取り戻しに行くよ」

そう答えた彼の笑顔に、もう迷いはないようだった。

どうやって?とは聞かなかった。
あぁ、そうか。とガイは納得しただけだ。


昨夜、腕の中で泣いていた子どもは、また一人で歩き始めたのだ。


お互いに『またな』や『また会おう』などとは言わず、
ただ『元気で』と声をかけてから別れる。


ガイは連絡船から、港にいる深紅色が見えなくなるまで見続け、
彼もまた、連絡船が見えなくなるまで、その姿を見送った。



それが、ガイが見た最後の彼の姿だった。



それから暫くして、マルクトにもたらされたニュースは、
英雄ルーク・フォン・ファブレの失踪。

ジェイドに「何か知っているのではありませんか?」と聞かれたが、

「あいつは、あいつが本当にしたかった事の為に、行っちまったんだよ」

ガイはそう言って答えた。


彼の行先だけは、ガイも知らないのだ。


しかし、時折、ガイは遥か頭上の音譜帯を見上げて、
行方の知れなくなった英雄の名を、呟く。


彼が幸せである事を、切に願って。










遂に、その日が来た。

その日付は誰の記憶に残る事もないが、彼が恋焦がれるように待ちわびた日。


朽ちかけた城の一室、
冷たい音機関の上で、子どもの泣き声が上がった日。


一人の男が、産声のように上がり続ける泣き声に近付くと、
そっと小さな身体を抱き上げた。

「……まるで赤子のように泣くのだな、『ルーク』よ」

幼子をあやすように軽く背中を叩いてやりながら、

「トゥエ・レイ・ズェ・クロア・リュオ・トゥエ・ズェ…」

囁くように低い声を響かせて、子守唄を口遊む。

『ルーク』と呼ばれた彼は、瞳から溢れる涙を止められず、
酸素を求めて喉を引き攣らせていたのだが、

しかし、何とか首を動かして、ゆっくりと遠ざかっていく音機関を確認する。


冷たい音機関の上にいるのは、確かに存在する、もう一人の自分。


会いたかったもう一人の自分に、遂に出会えた。

そんな安心感からか、或は子守唄のせいなのか、
彼は微睡み始めると、自分を抱くヴァンの腕に身体を委ねながら、心に誓う。


必ず2人で帰る。今度こそ、1人きりになったりしない…と。



そうして、その誓い通りに2人で帰ってきた時、

叶わない約束の追悼歌に、友と涙する必要はなく、
辛い夢を見ないようにと紡がれる子守唄に、抗う必要もない。


その時こそ、ただお互いに手を取り合って微笑み合い、

2人の英雄は凱歌に酔う。




※※※おわり※※※






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