AL逆行itsbetween1and0/39 AL長編/it's between 1and0 2012年09月11日 アシュルク逆行長編“it's between 1 and 0” 第39話・クリムゾン編03「ジュースのように甘く」です。 it's between 1 and 0 第39話 ※※※ ベルケンドの自城に滞在して、1ヶ月が過ぎた頃だった。 ラムダスから速達で届いた書簡には、あれが食べたくないと食事を拒否する回数が増えた為、医師の診察を受けさせたいという内容が、書かれていた。 食べたくない、だと? そういえば、まだあれを本物の息子だと信じ、家族として接しようと努力していた頃、あれは好き嫌いが多くて心配だと、妻は言っていたが。 あの頃の記憶は、不快を催すものでしかない。 あの化け物を僅かの間でも家族として考えていたとは…。 「お返事はどのようになさいますか?」 ペン先をインク壺に差し込みながら、執事が問う。 私は窓際にいて、陽射しに目を細めながら、嘆息した。 「無論、決まっている。あれの我儘に振り回される必要はない。捨て置け。妻に話して、余計な心配をかけさせる事も許さぬ。食べたくなれば勝手に食べるだろう。…そう書いておけ」 「は…?よろしいので…?」 「口答えは許さぬ」 「も、申し訳ございません」 執事は私が言った通りにペンを走らせ、返信した。 何不自由ない暮らしをさせてやるつもりだが、 だからと言って、あれごときが人間の手を煩わせて良いものではない。 あれを屋敷に置くと決めたのは、私の忍耐と、妥協の上に重ねた、恩情ゆえなのだ。 妻と息子の事がなければ、とっくに処分している。 あれは何様のつもりで、人間の手を煩わせたいのだ。 そんな風に考え、私は怒りを覚えた。 ベルケンドでは、蔵書コレクションを増やすという建て前で、あらゆる本を収集させた。 大半はカモフラージュの為の収集であり、本来の目的は、フォミクリー技術関連の研究書を収集する事だった。 マルクト帝国で禁書指定されている、生体フォミクリー関連の研究書は元より少なく、収集にはさすがに骨が折れたが、キムラスカだからこそ、入手は不可能ではなかった。 私は、フォミクリーについて知る事で、あれの対処法を見出だそうと、必死だった。 ふと、バチカルにいた研究員の一人が、フォミクリーについて詳しかった事も思い出し、あの研究員を抱き込むべきだとも考える。バチカルの研究所に引き抜いてきてからは、私の命令には決して逆らわない研究員の一人だった。 確か、マルクトでフォミクリーの研究に多少関わり、研究が封印される直前に、マルクトから脱出し、第一音機関研究所の物理学者スピノザを頼って、キムラスカに身を寄せていた…という話を聞いた事があった。 第一音機関研究所を頼る事も一瞬だけ考えたが、息子の誘拐に関わっているという可能性を捨てきれず、それは避けた方が懸命だと思い直した。 バチカルに戻ってすぐに、バチカルの研究所に顔を出す必要があると考え始めた時、 またラムダスから書簡が届いた。 あれについての近況報告のようだった。 初等教育向けの本を読むようになった事、 熱心に一日も欠かさず日記をつけている事、 妻が、あれの為に家庭教師を呼びたいと言っている事。 頭痛の痛みを和らげる鎮痛剤の投与を試みたが、 あれの身体には良くないと妻が投薬を中止させた事。 食べたくないと食事を拒否する回数が以前より増えた事、 食欲がない時でもケーキならば口をつける時もある事。 そして最後に、 体調が心配なので医師の診察を受けさせたいと書かれていた。 返事として、 家庭教師の選出はよく吟味する事。 あれ自身が望まぬなら教育など与えなくとも良い事。 食事に関しては、あれの好きにさせる事。 医師の診察などと大袈裟に騒ぐ必要などない事。 …以上のような内容を、簡潔に認めさせた。 2ヶ月の滞在期間が過ぎ、私はバチカルの屋敷に戻った。 書斎にいると、シュザンヌが険しい表情で私のもとを訪ねてきた。 「どうしたのだ、シュザンヌ?」 「あの子の事ですわ、あなた」 あの子?……あぁ、あれの事か。 「何故あの子を無視するのです?ラムダスの書簡に、医師の診察を受けさせたいと書いて送った筈ですが?」 「あぁ、食べたくないと我儘を言っているそうだな」 「ただの我儘ではありませんわ!何かの病気です!」 「何を大袈裟な…」 「私の薬師に、あの子を診せました」 「何だと?」 「食欲減退はどんな病気にも見られる症状らしく、何の病気かはきちんと検査しなければ分からないと、言われましたわ」 「…余計な事を……」 そもそも、あれは人間ではないレプリカという化け物だ。人間とは何かが違うのだろう。 「余計とは何ですの!それでもあなたは父親なのですか!?」 あれの父親だと!?冗談ではない!! 息子が偽物の化け物と入れ代わっても気付かぬ母親が、 私に父親の在り方を問うなど、滑稽にも程がある!! あれは息子どころか人間でさえないなのだ!! …妻にそう言ってしまいたかったが、何とか堪える。 「もう結構です。兄上様に相談する事に致します」 私は驚いて妻の顔を凝視した。 妻の微笑む顔が、好きだった。悲しむ顔は、胸が苦しくなるほど切なくなった。 だが、怒りを顕にする顔など、今、初めて見たのだ。 あの優しく温厚な妻が、怒っている。 ……あれのせいで…!!! 「国王陛下にご相談する事など許さぬ…!」 「ですが、このままではルークは弱って死んでしまいます!ルークにお会い下さい!きっと、お会いしていないから、あの子がどれほど弱っているのか、分からないのですわ!」 何故そのように怒るのだ!!そんなに声を荒げては、身体に障るだろう…!! あれを屋敷に置くべきではなかった!! 「…会えば良いのだな?では、望み通り会うとしよう」 私が言って立ち上がると、妻は安堵の表情を見せたが、すぐに、その表情が凍り付く。 私が剣を手にしたからだ。 「あなた、何故、剣など…?」 「そなたは黙って見ていれば良いのだ」 訳が分からず顔を青ざめさせる妻を横目に、私は書斎を出て、 あれを置いている鳥籠へ向かった。 「あなた、あなたっ、お待ち下さい…っ!」 止めようとする侍女を払いながら、妻は追いかけてくる。 あぁ、追いかけてくるが良い。 あれは、そなたにとって、良くない物だったのだ。 そなたの前で、あれの化けの皮を剥いで、 あれが偽物の化け物である事を教えてやらねばなるまい。 そなたは衝撃を受けるだろうが、これ以上、あれごときの為に怒る事も悲しむ事もせずに済む。 息子の代わりに殺す為だけに置いている物だ。預言の年まで、息さえしていれば良い。 我々の目に触れぬよう、この鳥籠から出られぬよう、 この機会に、手足を斬り落としてくれる…!!! 部屋のドアを開いた瞬間、 私は驚きで、一瞬、自分が何を考えていたのかを忘れてしまっていた。 赤い髪の小さな子供が、ベッド脇の床に倒れていた。 理由が分からぬまま、引き起こそうとして腕を掴み、その細さにぎょっとする。 2ヶ月前には胸倉を掴んで引き起こしたが、これほど体重は軽くなかった。 まだ息はあるが、呼吸は浅く早い。 『このままでは弱って死んでしまいます』 妻の言葉が脳裏に甦った時、 「あなた、お止め下さい!ルーク!ルークッ!!」 妻は、私の横をすり抜けると、私から子供を奪い、意識を失った子供を抱き締めた。 「…ルーク、ルーク、母ですよ、分かりますか…っ?」 妻が名を呼び、頬を撫でると、子供は薄く目を開く。 「…母上……?」 「えぇ、母ですよ、ルーク」 子供はぼんやりと周囲を見回し、そして、私と目が合った瞬間、怯え、恐怖で身体を震わせる。 息子ではないくせに性懲りもなく私を「父上」と呼ぶのだろう。 私はそう予想して怒りを覚える。 しかし、 「……ぁ、…ご…めんなさ…い……」 子供は、私を「父上」と呼ぶ事なく、再び意識を失った。 子供が私を「父上」と呼ばなかった事に対し、 私は想像以上に衝撃を受け、何の為に剣を持って来たのか分からなくなってしまっていた。 その後、私はバチカルの研究所を訪ね、レプリカに詳しい研究員に、細かに話を聞いた。 レプリカは、能力劣化や身体機能の異常は元より、免疫力などが劣る事例も多いという。 その為、レプリカの免疫力を高める研究も行われていたらしい。 「何らかのウイルスに感染すれば、免疫能力が低いので、例えば、通常なら風邪の症状だけで済むような病気でも、命に関わるのです」 「…そうか」 「こちらの薬草が最もレプリカに適しているという、研究結果も出ています。定期的にこちらを服用すれば、それなりの免疫力を維持する事は可能でしょう」 説明を聞きながら、赤色の薬草を手に取る。 乾燥しているにも関わらず、甘い香りが強い薬草だった。 薬草を煎じて飲ませれば良いと、説明が続く。 「これは、甘い…のか?」 「いえ、香りだけで。味は殆どありませんが…」 あの子供はケーキが好きだと聞いた。甘い物が好きなのだろう。 「ジュースのように甘くする事は可能か?」 研究者は驚いたが「もちろんです」とだけ答える。私は、甘い『ジュース』を作るように命じた。 私は『ジュース』を持ち帰り、メイド長に、ケーキと共に子供に与えるよう命じた。 話を聞けば、子供は美味しいと言って喜び、甘い『ジュース』を気に入ったようだった。 子供は発熱し、風邪をひいたようだった。免疫力が高まったおかげで、ようやく身体の反応が始まったのだと聞いた。風邪薬を与え、風邪が治ってからは、以前のような食欲を取り戻した。 子供らしい好き嫌いはあったが、『食べたくない』と言う回数は激減したらしい。 『ジュース』を定期的に届けさせるよう秘密裏に手配し、決められた日にデザートの一つとして与えるよう、ラムダスやメイド長に命じた。彼らは疑問に感じたかもしれないが、さすがに、私に何かを問うような事はなかった。 いつからか子供は、私を「父上」と呼ぶようになったが、私は、以前のような怒りを覚える事はなかった。ただ時折、子供が笑って手をのばしてくる姿を思い出し、私達は何も知らなかった頃のような親子には戻れないのだと、不意に淋しさを感じる事はあった。 だが、一度、振り払ってしまった子供の手は、あれから、二度と、私へ向けられる事はなかった。 屋敷の窓から中庭を見ると、 鳥籠の前にあるポーチで、今日も、使用人の青年が午後のお茶の準備を進めている。 その日はレムの日で、テーブルには赤いジュースもあった。 そこへ子供が息を弾ませながらやってきて、椅子に腰掛け、まずは赤いジュースを飲み干す。 私のいる位置からは声など聞こえる筈もなかったが、確かに「美味い」と言ったような気がした。 いつか、あの子を見殺しにせねばならぬのだ。 私は罪悪感から逃げるようにして、窓に背を向けた。 ※※※続きます※※※ PR