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AL逆行itsbetween1and0/30



アシュルク逆行長編“it's between 1 and 0”

第30話・ジェイド編02「私の手を掴んだ左手」です。







it's between 1 and 0 第30話


※※※



神託の盾騎士団のアッシュ特務師団長という人物は、……何とも評しがたい人物だった。

聖職者としては詠師、騎士としては響士の階級。焦茶色の長い髪に、緑…翡翠色の瞳。黒の教団服には、ダアトの紋様が赤で刺繍されている。腰には、なかなかの業物と見える剣。
尤も、彼の特徴の中で、一番目を引くものといえば、顔全体を覆う仮面だったが。

「お初にお目にかかります。マルクト帝国軍、第三師団の師団長の任を務めさせて頂いております、ジェイド・カーティス大佐です。以後お見知りおきを」

握手を求めて私が右手を差し出すと、
やや間を置いた後、特務師団長は一度左手を出しかけて、右手で握手に応えた。

「神託の盾騎士団、特務師団長、…アッシュ響士、です。今任務から師団長を務めさせて頂いております。若輩者のため至らぬ所があれば、ご指導のほど宜しくお願い致します」

いかにも少年らしい澄んだ声に、少年らしくなく何処か大人びた柔らかな響き。

…ふむ。
神託の盾騎士団の師団長は曲者揃いと聞いていたが、叩き上げの軍人というよりは、彼は貴族の将校ような物腰だ。15才で師団長なのだから、どこぞの貴族出身なのかもしれない、が…。

仮面のせいで表情が見えず、感情を推測する事は出来ないが、柔らかな声とは違い、握手する間、固く握りしめられていた左手が、印象的だった。


……左利き…でしたか。


ロニール雪山への行軍に、大詠師は参加はせず、ケテルブルクに本陣を置くという形で、特務師団の副師団長以下数名の護衛と残る事になっていた。

もちろん、それはローレライ教団側の提案でしたが、大詠師が同行しないのは、こちらとしても助かりました。……足手まといになられても困りますしねぇ。

ロニール雪山奥地への行程は、順調であれば3日。
その日の野営予定地へ到着次第、設営班を残し、作戦予定地に赴いて、魔物誘因剤を使用した作戦を展開。討伐作戦を繰り返しながら、3日後には『大氷壁』近くの雪原へと到着予定だ。

ケテルブルクのマルクト軍基地にて、特務師団長を招き、作戦内容の最終確認を行っていた所、

「この雪原…『大氷壁』の……」

微かに特務師団長の呟く声が聞こえてきた。

「アッシュ特務師団長殿、何か?」

「あ、いえ、何でもありません。先を続けて下さい」

眼鏡のブリッジを押し上げ「では、」と話を進める。


今、確かに、彼は『大氷壁』と言った。

…マクガヴァン様の杞憂は、間違っていなかったのかもしれませんねぇ…?



作戦は開始された。

1日目は、ロニール雪山入口付近での作戦だった為、強力と冠される魔物で出現したものと言えば、巨大なスノウトレンント5体のみだった。天候も良く、心配された兵の消耗も見られない。

戦闘による欠員は一人もなかった。
目を見張るほどのアッシュ特務師団長の活躍のおかげだ。

彼の攻撃は、上級譜術エクスプロードから始まり、いっそ美しいとも言える舞うような剣技へと連携し、あのスノウトレントを、殆ど一人で倒してしまった。
途中、控えに回った時間を除けば、彼の長い髪は、常に、魔物の返り血を浴び続けた。

その様子を見て、誰かが『鮮血』と彼を渾名していた。

『鮮血のアッシュ』

どこか幻想的な雰囲気を持ち、舞うように戦う彼には、似つかわしくない血生臭い渾名だ。



1日目の行程が終わり、私は自らの天幕にいて、ここ最近の天候と、この先1週間の気象預言が書かれた報告書に目を通していた。

「…『大氷壁』から少しでも遠ざけるには、格好の理由…かもしれませんねぇ……」

計画した進軍経路上に、雪崩の危険性がある箇所などない。だが、雪山の自然は、常に人の想像を遥かに越え、踏破される事を拒むかのように、突如として牙を剥く。この報告書のデータがあれば、上手く言葉を操り、進軍経路を直前に変更する事も可能だと考えていた。

アッシュ特務師団長を説得しなければならない。
……が、彼の人となりを見るに、説得は容易そうだ。

「…さて、一仕事といきますか」

私は軍から支給されている防寒用のコートを羽織ると、天幕を出る。

携行用音素式暖房譜業器で温められた天幕内とは違い、外は、呼気さえも凍てつかせる程に、寒い。澄みきった空は、温度を感じる事の出来ない星々の輝きに満ちている。

それらを単に懐かしいと思う私は、卑怯なのだろう。


故郷に対する思いは、吐き気を催すほどに生々しく、引き裂かれるような痛みさえ伴わなければならない筈だ。

「ネビリム先生…」

記憶の中で、鮮やかさを失っていく先生の姿。
それは忘却の代償だ。
私は少しでも楽に生きていく為に、大切だった彼の人を、記憶の中でも殺し消そうとしている。

忘却に対する罪悪感は、ちくりと胸を刺す程度の痛みでしかない。
人の死を理解できないならば、せめて記憶の中で、先生を生かし続けたかった筈なのに。


いつか、先生を殺した過ちや罪でさえも、
身を焼くような痛みを伴わず、思い出すようになるのだろうか。

「…私は、いつから、こんなに狡くなったのでしょうねぇ」

そんな事を呟いて自嘲的に笑う事さえ、まるで茶番のようだ。


私は隣の天幕にいるマルコに声をかけてから、オラクル側に向かって歩き始めた。

野営は二軍を一ヶ所に固めているとは言え、万が一にも問題が発生しないよう、左右に分けている。オラクル側へ入っても、通常の野営とは違い、外を出歩く兵の姿等を見かける事はない。

しかし、向こうから、一人の軽装兵が歩いてきた。

確か、あれは、特務師団長の従卒だった筈だが……。

「失礼。私はマルクト軍第三師団長カーティス大佐ですが、アッシュ特務師団長殿に行軍についてお話ししたい事があり、訪ねていく途中です。あなたは、確か、特務師団長の従卒ですね?」

「はい。アッシュ様なら、ご自身の天幕におられますよ」

「特務師団長殿は、もうお休みでしょうか?」

「アッシュ様は、まだお休みではないと思います。私は用事がないからという事で、下がっただけですので」

従者は窺うように私の目を見る。

「そうでしたか。お休みに向かう途中でしたのに、引き留めてすみませんでしたね」

「…いえ、では失礼致します」

少し警戒させてしまったかもしれないが、簡素な礼をした従卒は仲間の待つ天幕へと戻っていった。

…アッシュ特務師団長は、今は一人…。
余計な入れ知恵をする輩は一人でも少ない方が良い。


特務師団長の天幕の前に到着し、入口の垂れ幕を少し動かすと、中から灯りが漏れて見えた。

「マルクト軍第三師団長ジェイド・カーティス大佐です。失礼してもよろしいですか?」

……返事がない。

しかし、灯りはついているので、眠った訳ではなさそうだが?

私の声が聞こえなかったか…?

「失礼しますよ」

垂れ幕を開け一歩中に入り、口上を述べようとした所で、ベッドの上で横になっている少年の姿に気付いた。手のすぐ傍には、数枚の書類が投げ出されている。ベッドに腰かけて書類に目を通している内に、眠ってしまったのだろう。

「…おやおや。しかし、これはまた……」

普段、仮面に隠された素顔は、まるで少女のようにあどけない。

柳のように形の整った眉も、影を落とす程に長い睫毛も、髪の色とは違い、焔のような赤色。決して明るい茶色とは言えない、鮮やかなまでの赤。隠されていた赤こそが、生来の色なのだろう。

しかし、赤、とは…。しかも、瞳は翡翠色だった…。

……いや、考えるのは止そう。敵国の一介の佐官が深入りして良い事情ではなさそうだ。

「さて、どうしたものか…」

声をかけて起こすには、忍びない。そんな風に思わせるほど、無防備な姿。夜着から覗く細い手首や足首、白い首筋を見て、誰が、あの『鮮血のアッシュ』を思い出せるだろうか。

特務師団長とは言え、まだまだ子供という訳か。
……仕方ない。話ならば、明日の朝でも良いだろう。


そう考え、踵を返そうとした所、

「……っん…」

微かな声が聞こえ、振り返る。

観察してみると、閉じられた瞼が震えていた。覚醒が近いのかもしれない。

しかし、穏やかな寝顔が、一瞬にして、苦痛に歪められた。

「っぐ、…あ……っっ…、んん…っ!」

歯を食い縛り、絶叫を噛み殺し始める。苦痛に強張る身体を抱くようにして、身体を丸めて縮めた。

尋常な苦しみ方ではない…!

「アッシュ殿、大丈夫ですか!?」

瞬間、驚きで特務師団長は目を見開いた。
しかし私と目が合った次の刹那、再び痛みに襲われてか、涙の滲み始めた瞳を固く閉ざす。

「待っていて下さい。軍医を呼んで来ます」

私はそう言ってベッドから離れようとしたが、

特務師団長に手を掴まれ、私は眉を顰めただけに終わる。

「…ダメ、だ……、呼…ぶな…!」

「しかし、これは尋常ではありませんよ」

私が言うと、彼は首を動かし、横に振るようにベッドを擦る。

「原因は分かっているのですね?何か持病でも?薬は?」

私の手を掴む彼の指に、力が籠められた。弱々しい、しかし、切なくなるほどに必死な、力。

「…少…し、したら、治ま…る、から……、だか、ら…」

誰にも言うな、という事だろう。

「……分かりました。他言はしませんよ」

私が応えると、苦痛で歪む顔に、不器用な笑みを作る。

「…あ、りがと、…ジェ…イ、ド……」

安心したのか、彼は目を閉じると、そのまま意識を飛ばしたようだった。


『ジェイド』

彼は私をそう呼んだ。大佐でもなく、カーティスでもなく、ジェイド、と。


それに違和感を覚えながらも、不思議と嫌悪感はなかった。

私の手を掴んだ左手に、懐かしさに似た親しみを覚えてしまったせいかもしれない。




※※※続きます※※※



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